加藤 楸邨(かとう しゅうそん)
明治38~平成5(1905-1993)
▲楸邨自筆色紙(左)・野哭
【文学者について】
東京出身の俳人で、昭和4(1929)年に旧制粕壁中学(現・県立春日部高校)の教員となりました。その後、水原秋櫻子と出会い、教えを受けながら俳誌『馬酔木』に参加しました。
昭和14(1939)年に第一句集『寒雷』を発表し、人間の内面を追い求める作風は、中村草田男、石田波郷らとともに「人間探求派」と呼ばれました。
【埼玉とのかかわり】
旧制粕壁中学の教員時代に同僚のすすめで俳句を始め、秋櫻子との出会いにより、本格的に俳人として活動しました。句集『寒雷』にはその頃の作品が収められています。
【主な作品】
寒雷(昭14) 芭蕉講座発句篇(昭18-23) 野哭(昭23) まぼろしの鹿(昭43)
【その他】
(加藤楸邨記念館は平成13年に閉館され、その収蔵資料の大部分はさいたま文学館に受けつがれています)