岡本 潤(おかもと じゅん)
明治34~昭和53(1901-1978)
▲笑う死者[初版](左)・罰当りは生きてゐる[初版]
【文学者について】
岡本潤は現在の本庄市に生まれた詩人で、幼年時代を本庄で過ごしました。
大正12(1923)年、「詩とは爆弾である!」の宣言のもと、壷井繁治、川崎長太郎らと雑誌『赤と黒』を作りました。その後、『罰当りは生きてゐる』(昭8)など反権力の立場から多くの詩集を発表しました。
また、昭和11年に友人のすすめで新興キネマ撮影所脚本部に入り、「和田潤」のペンネームで映画の脚本も書きました。
【埼玉とのかかわり】
5歳頃まで本庄で暮らしました。詩集『笑う死者』(昭42)にある「いまいましい町」という詩は、潤が久しぶりに本庄を訪れた時に作られた作品です。
【主な作品】
罰当りは生きてゐる(昭8) 襤褸の旗(昭22) 詩人の運命(昭49) 岡本潤全詩集(昭53)